インテリジェントアレー撰壇塾
講演時間 会場 (学)常翔学園 大阪センター
◆講演日:2011年1月14日(金)19:00〜

●川藤 幸三 (かわとう こうぞう)氏
プロ野球解説者

【テーマ】
浪花の春団治に“元気”の源を聴く!

【要 旨】
プロスポーツの世界では、現役を引退する際に「記録よりも記憶に残った選手」と形容される選手がいる。その中でも一層際立つ存在で、現役引退後も各メディアで圧倒的な存在感を放ち続ける同氏。その溢れんばかりの“元気”に勇気づけられ、前向きな気持ちになる。同氏の“元気”の源とは何であるのか? に迫り、ビジネスの世界で漂っている閉塞感打破のヒントとする。

※当講演会はMCとの対談形式での進行を予定しています。

<ご案内・ご注意>
当講演会は「毎日インテシオ地下1階オーバルホール」にて実施致します。
会場が異なりますのでご注意願います。
講師略歴 昭和24年(1949)7月5日、福井県美浜町に生まれる。
昭和42年(1967)、福井県立若狭高校卒業後、ドラフト9位で、阪神タイガースに投手として入団。のちに、外野手に転向する。
昭和49年(1974)には106試合に出場、セ・リーグのシーズン最多犠打、チーム最多盗塁を記録。レギュラー獲得かと思われたが、その後、故障に泣かされ、昭和51年(1976)”代打一本”で勝負を賭ける事を決意。『一振り人生』が始まった。
昭和58年(1983)シーズンオフ、球団からのクビ宣告された際に、『給料はいくらでもいいから野球をやらせてくれ』の名セリフを残し、バット一本で昭和61年(1986)まで現役を張り続けた。しかし、一度もレギュラーになることもなく、生涯安打数211本プレイヤーが、19年間もクビにならなかったのは、その勝負強さと共に、人柄に負う部分も大きいと思われる。
昭和60年(1985)、阪神タイガースが、21年振りのリーグ優勝を果たした時、吉田監督、主砲・掛布に次いで胴上げされた事が、縁の下の力持ち的存在で、チームに貢献していた事を物語っている。
昭和61年(1986)には、監督推薦でオールスター戦に出場。現役生活にピリオドを打つ。
引退に際して「引退試合」を催促したのも“異例中の異例”である。
その豪快なキャラクターから“浪花の春団治”と呼ばれ、スタープレーヤーが少なくなったと言われる近年のプロ野球界の“最後の侍”であったと思われる。
昭和62年(1987)から3年間は、読売テレビのプロ野球解説者として「プロ野球中継」、「週刊トラトラタイガース」「ズームイン朝!」にも出演し、講演会やタレント活動にマルチぶりを発揮。
独特の”川藤節”を展開し、「奔放な中にも選手に対する思いやりの感じられる」トークで人気を博していた。
平成元年(1989)には、中村勝広監督就任と共に、阪神タイガースに総合コーチとして復帰。選手、首脳陣、フロント間のパイプ役を勤めた。
平成3年(1991)、阪神タイガース退団。甲子園最終戦でのチーム全員の挨拶の時、ファンからいちばん多かった声は、中村監督でもなく、「川藤やめんなよ」コールだった事が、選手生活引退から5年経ってもファンの間では、“浪花の春団治”川藤のイメージが脳裏に強烈に焼き付いている。退団後も、依然、ベテランから若手に至るまで選手間の人望は厚く、プロ野球解説者の現在も良き相談相手となっている。
平成5年(1993)、出身地である福井県から委嘱を受け、「福井県ふるさと大使」に就任。
平成7年(1995)、サントリー「新モルツ」CMに起用。新球団「モルツ」の錚々たるメンバーの中で『代打男・川藤』として、その存在を強烈にアピール。現在も、サントリー ザ・プレミアム モルツ球団の生え抜きメンバーとして活躍。
野球関連以外にも、ドラマ・映画・バラエティ番組と幅広く活動している。
音楽の方では、平成9年に長山洋子とのデュエットで歌手デビュー。
近年では、平成20年に発売した「望郷甲子園」を、NHK「きよしとよしみの浪速ナイトショー」で熱唱するなど話題になった。
同年、TBS系の人気ドラマ「ROOKIES〜ルーキーズ」の安仁屋恵壹(市原隼人)の父役を好演。
因みに、主人公の川藤幸一先生(佐藤隆太)は、川藤幸三と田淵幸一を掛け合わせたもので、作者・森田まさのり氏が大の阪神・川藤ファンであるのは有名。
現在、読売テレビ プロ野球解説者をはじめ、〃「朝生ワイド す・またん!」 MBS「魔法のレストラン」に出演。
2010年は、阪神甲子園球場のマナーキャンペーンCM【NO MY CAR 甲子園】【NO カン・ビン 甲子園】に起用された。
また、丹波の子供たちとのコラボ企画で誕生した新曲『たんぼdeマンボ』も好評発売中。
※「らーめん川藤屋」に付きましては、タイガースの後輩である川本浩次が運営。イメージキャラクター的な立場で応援しています。
<現役通算成績>
○ 771試合出場・打率2割3分6厘・16本塁打・108打点
○「福井県ふるさと大使」
○「北海道旭川市観光大使」
○「若狭おばま御食国大使」

●受講生の声(当日のアンケートより)

スポーツにあまり興味がない私が一生懸命に野球をされてきた川藤さんの生き方に感動しました。今、私も打ち込める仕事に一生懸命頑張りたいと思います。歯をくいしばって頑張ろうと思います。(40代・大学・事務職・女性)

豪快に思える中にも。暖かいまなざしを感じました。ありがとうございました。(男性)

時間を大切にしようと思います。まだ自分にも何か出来るはず・・探してみます。ありがとうございました。(女性)

自分に厳しく人にやさしく、感謝の気持ちを持つこと。逃げないこと。どんな仕事をしていてもどんな人生でも勝つには共通の要因かと思いました。(40代・建設業・営業・男性)

これまでの活躍の理由が改めてわかったような気がします。元気の源を見せて頂きました。(40代・建設業・営業・男性)

阪神タイガースの中でどのような努力を行い、独特のポジションを築きあげられたのが、よく分りました。(40代・男性)